中國(guó)國(guó)務(wù)院が、中國(guó)の國(guó)家最高権力機(jī)関である全人代?全國(guó)人民代表大會(huì)に提出した國(guó)務(wù)院の機(jī)構(gòu)改革案が3月10日、採(cǎi)択された。この改革案の一つの重要な內(nèi)容は、これまでの「國(guó)家発展計(jì)畫委員會(huì)」を「國(guó)家発展?改革委員會(huì)」と改組したことである。
今回の機(jī)構(gòu)改革で、「國(guó)家発展計(jì)畫委員會(huì)」が「國(guó)家発展?改革委員會(huì)」に改組された。今までの50年間、マクロ的なコントロールを主管する中央政府部門の名前に「計(jì)畫」という字は欠かせなかった。しかし、この二つの字が関係部門の名稱から消えたことは、計(jì)畫経済體制が解體したのか、それとも、社會(huì)主義市場(chǎng)経済體制への転換が既に完成したと言うことだろうか。
朱鎔基総理は去る5日、全人代で行った政府活動(dòng)報(bào)告で「現(xiàn)在、中國(guó)の社會(huì)主義市場(chǎng)経済の體制がほぼ形成された」と述べている。
「計(jì)畫」ということは、これまでの50年間、中國(guó)にとって、非常に重要だった。この50年間のうち、40年ぐらいの間、計(jì)畫経済が実施されてきた。計(jì)畫経済は中國(guó)人の衣?食?住、就職などとかかわってきた。當(dāng)時(shí)の國(guó)務(wù)院所屬の國(guó)家計(jì)畫委員會(huì)は中國(guó)の計(jì)畫経済時(shí)代の代表と言えた。
10年前から、計(jì)畫経済は、中國(guó)人の生活におけるその重要性がだんだん薄くなってきた。それは1992年から社會(huì)主義市場(chǎng)経済體制が確立し、計(jì)畫経済體制を次第に廃棄していくことが明確にうちだされたからである。今回の改組によって、計(jì)畫経済の時(shí)代が基本的に終ったことが示されたと理解してもいいだろう。
そして、名稱が改められた「國(guó)家発展?改革委員會(huì)」の今後の機(jī)能と性質(zhì)はどのような変化があるのだろうか。
機(jī)能から言えば、この機(jī)関は今までの行政審査とミクロ的な事務(wù)管理が更に減り、公平な市場(chǎng)競(jìng)爭(zhēng)の環(huán)境を作ることにその活動(dòng)の重點(diǎn)を置き、経済活動(dòng)における市場(chǎng)メカニズムの調(diào)整作用をよりよく発揮することになる。
ところで、「國(guó)家発展?改革委員會(huì)」の「発展」と「改革」とは、どういうかかわりがあるのだろうか。
これについて王忠禹國(guó)務(wù)委員は「現(xiàn)在の中國(guó)では、経済體制の改革が経済発展と密接にかかわっている。各方面の改革を総合的に調(diào)整し、発展を促すために、國(guó)家発展委員會(huì)と國(guó)務(wù)院経済體制改革室という二つの部門を合併した」と語(yǔ)っている。
また、これについて、経済體制改革研究會(huì)の遅福林副會(huì)長(zhǎng)、更に具體的に語(yǔ)っている?!弗蕙淼膜式U済コントロールの中で、コントロールのシステムと體制改革は密接にかかわっている。元の體制改革部門はマクロ的なコントロール部門と分離していたため、マクロ経済の問題について、雙方が十分に協(xié)調(diào)することが出來なかった。合併後は、その役割をより発揮していくだろう」と話した。
更に、國(guó)務(wù)院経済體制改革室が國(guó)家発展?改革委員會(huì)と合併したことは、改革の一つの重要な段階に終止符を打つと同時(shí)に、中國(guó)の改革が新たな段階に入ったことを示している、と見られている。
「CRI」より2003/03/11
|