候補者の中で年齢も一番下、経歴も最も淺い安倍晉三氏が9月20日、戦後日本で最も若い自民黨総裁となった。過去の総裁選と比較しても、安倍氏の優(yōu)勢確保は早かった。人々は選挙の過程や結(jié)果よりも、その原因、つまりなぜ安倍氏がこうも楽勝できたのかに一層の関心を抱いている。(人民日報駐日記者?于青)
第1の原因は、自民黨內(nèi)の権力集中だ。1990年代に形成された日本の選挙制度と政治資金制度により、所屬全議員の出馬の可否と政治資金の分配を決定する権力を、黨首が握るようになった。昨年の総選挙では、小泉首相が黨內(nèi)の反対派議員に「刺客」を送り込み、「自分に逆らう者は死ぬ」政治劇を演じた。自民黨の派閥政治は崩壊し、多くの議員が自分の政治生命と今後の登用への懸念から、総裁の「獨斷」に忍従した。
第2の原因は、小泉首相が安倍氏を引き立てたことだ。2001年、安倍氏は內(nèi)閣官房副長官として小泉內(nèi)閣に入閣した。當(dāng)時、日本の政界で安倍氏の名聲は決して高くなかった。2003年には自民黨幹事長に任命された。歴代の自民黨幹事長の多くは大御所政治家であり、當(dāng)選回數(shù)がわずか3回で、閣僚経験もない安倍氏にとっては大抜擢だったといえる。2005年には小泉內(nèi)閣の內(nèi)閣官房長官に任命された。今年は小泉首相の外遊が多かったことから、首相代行を務(wù)める安倍氏が前面に立ち、ウォーミングアップする機會が増えた。
第3の原因は、安倍氏自身が強硬姿勢でムードを高めたことだ。安倍氏が最初に注目を集めたのは、2002年9月の小泉初訪朝の時だ。この後、日朝関係は「拉致問題」で難航したが、安倍氏は朝鮮に対する「毅然たる交渉」を主張し、「彼ら(朝鮮側(cè))が誠実に対応しないのなら、さまざまな措置を検討しなければならない」とも公言した。安倍氏は拉致被害者の家族とも何度も會見し、國民の好感を得た。今年7月10日の朝鮮によるミサイル試射では、「日本は『敵基地攻撃能力』の保持を検討する必要がある」と公言した。これはこれまでに、朝鮮問題について日本の政界から出た最も強硬な発言だ。しかし安倍氏の激しい言葉は、日本のメディアに盛んに持ち上げられ、「強者」を求める社會の雰囲気にもマッチした。
最後に、メディアの役割も過小評価できない。各メディアが何度も実施する世論調(diào)査では、安倍氏への高い支持率がはっきりと示されている。一般市民は自民黨の総裁選に參加しないが、自民黨は有権者に人気のある黨首なら、首相選挙にも自然と楽勝すると考えている。過去の自民黨総裁選は黨內(nèi)の地位や経歴と派閥の「合従連衡」によって決まったが、現(xiàn)在はまず黨外で人気を高めてから、黨內(nèi)の流れを形作るようになっている。これは日本政治における近年の最も顕著な変化の1つだ。
「人民網(wǎng)日本語版」2006年9月21日