「帰宅したら攜帯はオフ。外食はビタミンCたっぷりの料理。週末は必ず外出するけど、ゴミは持ち帰る」。少し誇張気味の流行り言葉は、中國(guó)の都會(huì)に暮らす若者の、ホワイトカラーならぬ「グリーンカラー」な生活を描寫したものだ。こんな若者達(dá)は、自己管理を比較的徹底して生活しているという。新華網(wǎng)が報(bào)道した。
伝統(tǒng)的な「ホワイトカラー」、ホワイトカラーとブルーカラーの中間的な「グレーカラー」、トップエリートを表す「ゴールドカラー」などの呼び名が、経済力と社會(huì)的な地位を基にしていたとしたら、「グリーンカラー」はむしろ個(gè)人の內(nèi)面的な特色によっている。特色とは、日常生活を愛(ài)し、健康志向がとても強(qiáng)く、屋外での運(yùn)動(dòng)を非常に好み、公益事業(yè)を支持し、自分自身にも、環(huán)境にも「やさしい」。
このグリーンカラーの一群は、1970年代から80年代初め生まれの青年たち。90年代以降に大學(xué)教育を受けており、様々な新しい思想?考え方の影響を強(qiáng)く受けている。大學(xué)卒業(yè)後は大都市で働き、視野が広い。環(huán)境汚染が進(jìn)み、生活のストレスも増大する中で、この一群は「自分にも環(huán)境にもやさしく」という生活における主張を唱える。
「グリーンカラークラブ」の発起人の1人で、北京市內(nèi)のコンサルティング會(huì)社幹部の左士光さんは、グリーンカラーを次のように説明する?!袱饯欷胜辘问耸陇颏筏皮い毪?、生活も大事にする。それなりの財(cái)産もあるが、拝金主義には陥らない。品格ある生活を求めるが、見(jiàn)栄を張ったり通ぶって飾り立てたりはしない。自然に親しむが、社會(huì)生活から遠(yuǎn)く離れることはしない。人生を楽しむが、不幸な人たちに共感し、助けようとする心がある。自分の生活を味わいながら、外の広い世界を見(jiàn)るために足を運(yùn)ぶことを忘れない」。
グリーンカラー族の高俊林さんは、IBM中國(guó)ソフト開(kāi)発センターの職員だ。毎週金曜の午後は、必ず旅行関連のサイトに目を通し、週末の短い旅行のために情報(bào)を集める。キャンプを好む高さんは早朝、日の出の光と影を捉えるように出かけ、翌日の列車で都會(huì)に戻る。
世界自然基金會(huì)淡水プロジェクト職員の徐迎春さんは、浙江大新聞メディア學(xué)科修士を終え、英國(guó)に留學(xué)。帰國(guó)後は環(huán)境保護(hù)の専門家となった?!感·丹ろ暏?、私は生態(tài)系と環(huán)境にとても強(qiáng)い興味がありました。今は夢(mèng)がかなって満足しています。こういう、心の底から湧いてくる力は、モノからは決して得られません」と話す。
人間同士の交わりについて、グリーンカラー族は、比較的純粋で簡(jiǎn)素さを重んじる。湖南創(chuàng)美広告公司の何陽(yáng)軍董事長(zhǎng)は、どんなに仕事が忙しくても、週に1、2回はバトミントン場(chǎng)に顔を出すようにしている。何さんのバトミントン仲間の顔觸れには、會(huì)社員、民間企業(yè)経営者、政府職員などが多い。
グリーンカラーは、食事と住む場(chǎng)所に関しては質(zhì)素で健康的なルールを?qū)g踐している。無(wú)公害の有機(jī)食品を珍重し、天然素材の衣服をこよなく愛(ài)する。そして部屋選びは堅(jiān)実だ。これは、グリーンカラーの面々の、生活の本質(zhì)に回帰する傾向を反映し、內(nèi)心の欲求にも沿っている。そして消費(fèi)と生活も合理的だ。
先述の何さんは、「車は身分や社會(huì)的地位の象徴ではない。ただの交通手段」と考える。中國(guó)ではまだ少數(shù)派であるマイカー族の何さんだが、仕事で必要なければ、徒歩またはバス通勤を選ぶ。「自分で運(yùn)転したら、結(jié)局は窓の外の景色を見(jiàn)過(guò)ごしてしまう。私は町を歩いて、自分に考える時(shí)間を與えるんです。バスの車內(nèi)で人々に混じっていると、生活をより身近に感じます」と話す。
ここで注意したいのは、グリーンカラーたちの考え方には、貴重な「社會(huì)的公益心」があることだ。長(zhǎng)沙民政學(xué)院の若手教師、王麗さんは「グリーンカラー族は、いろいろな団體を設(shè)立したり參加したりして、関心を同じくする人が集まり、自分達(dá)が有益だと思うことをやっています」としている。
「人民網(wǎng)日本語(yǔ)版」 2006年3月23日