私たち梁氏一族は日本と深い縁がある。
父梁思成は日本に生まれ、しかも日本で小學(xué)校に行ったことがある。
私たちの家族が日本の中國(guó)侵略戦爭(zhēng)の中で極めて大きな被害をこうむり、大きな犠牲を払い、私の三番目のおじ(母の三番目の弟)が抗日の戦場(chǎng)で命を落としたばかりでなく、私の父の弟、私のおじにあたる中國(guó)軍の砲兵少佐であった梁思忠さんも1932年の上海における淞滬の戦闘の中で命を落とした。
父は古代建築學(xué)を研究する中國(guó)の學(xué)者として、1944年に連合國(guó)側(cè)の軍隊(duì)が反攻を準(zhǔn)備し始めるにあたり、かつてアメリカ軍に京都と奈良を保護(hù)してほしいと提案し、父が戦火から全人類のために貴重な文化遺産を救い出そうとするやり方は、両國(guó)間の敵対的な戦爭(zhēng)関係を全く超越したものであった。
この往時(shí)のことを知っている日本人の友人たちは私の父を「京都と奈良の守護(hù)神」と呼んでくれている。父はこの評(píng)価に恥じないと思っている。 |