私は2度ほど日本を訪れ、多くの友人にめぐり合いました。最も懐かしく思われるのが、佐伯先生と奧様です。お二人は中國(guó)で反戦宣伝活動(dòng)に參加され、後には新中國(guó)の建設(shè)にも參加されて、中國(guó)には格別の思いをお持ちです。日本に行くたびにお宅に呼ばれ、何日か泊めさせていただきました。奧様は必ず新しい夜具を取り出し、私のために溫かで快適な“巣”を用意してくださいました。夜半に私の様子を見に來ては、私の髪を撫でながら「海迪さん、ここでは自分の家にいるつもりでね」とやさしく語(yǔ)るのでした。奧様はアルバムを見せるのが楽しみで、中には彼女の大勢(shì)の中國(guó)の同志が寫っていました。中國(guó)語(yǔ)で私に手紙をしたためるのもお好きで、終わりにはきまって「あなたの日本の母より」と書かれています。ある日、私は奧様に私が日本語(yǔ)で書いた日記を読んであげたことがあります。その中の一段落は「今後、たとえどこに行こうとも、佐伯のお母様を忘れないようにしたいと思います」というものでした。佐伯夫人は私の肩をしっかりと抱きながら、「中國(guó)の娘を忘れることはない」と語(yǔ)ってくれました。
中日両國(guó)國(guó)民の間には特別の感情があり、それは美しくまた永久のもので、こうした歴史と文化が凝縮された民族の愛は國(guó)境を超越したものです。 |