舊暦5月5日の端午の節(jié)句にあたる11日、湖北省岳陽(yáng)市ではドラゴンボート(竜舟)レース「2005中國(guó)岳陽(yáng)(汨羅江)國(guó)際竜舟節(jié)」が開催された。開幕式では、臺(tái)灣の有名な詩(shī)人?余光中さんが、春秋戦國(guó)時(shí)代(紀(jì)元前770年~紀(jì)元221年)に栄えた楚國(guó)の政治家であり、愛國(guó)的詩(shī)人である屈原(紀(jì)元前343ごろ~紀(jì)元前277年ごろ)をしのぶ自作の詩(shī)「汨羅江神」を披露し、30萬(wàn)人の民衆(zhòng)とともに朗読した。舊暦5月5日は屈原が汨羅(べきら)江に身を投げて自盡した命日とされる。
同開幕式では、屈原の故郷?湖北省シ帰市から7日間かけて到著した木舟から、沿岸の住民から託された粽(ちまき)が汨羅江に投げ入れられた。このほか、集まった屈原をしのぶ詩(shī)?文章を焚くなど、屈原をしのぶ一連の儀式が行われた。
中國(guó)では、端午の節(jié)句の慣わしとして、粽を食べたり、におい袋を身につけたりするほか、竜舟レースやヨモギ狩りなどの行事に參加する。端午の節(jié)句の由來(lái)として、人々がまず思い浮かべるのは屈原だ。屈原は君主に直言したために職を解かれたと伝えられる。國(guó)に報(bào)いたいがすでに自分の力を取り戻すことができなくなった屈原は、強(qiáng)い憤りの中、大きな石を抱えて汨羅江に身を投じた。屈原が身投げしたと聞き、現(xiàn)地の住民は次々と救助に向かい、流れに沿って洞庭湖までを捜索したが、屈原の遺體は見つからなかった。湖には、屈原を探すために無(wú)數(shù)の舟が集まった。この日がちょうど舊暦5月5日だったとされる。後の人々は、舊暦5月5日になると屈原をしのんで竜舟レースを開催するようになった。また、水の中に粽を投げ入れるのは、腹をすかせた魚やカニが屈原の遺體を食べないよう、食べ物を與えるためという。
「人民網(wǎng)日本語(yǔ)版」2005年6月12日