中國共産黨吉林省委員會、吉林省政府、吉林省軍區(qū)は28日、吉林省通化市で抗日戦爭で戦死した楊靖宇將軍の生誕百周年記念集會を開いた。
楊將軍は1905年、河南省確山県の農(nóng)家に生まれた。1935年、東北人民革命軍と抗日武裝グループによる抗日連合軍が結(jié)成され、楊將軍は第一軍軍長兼政治委員に任命された。その後まもなく第1路軍総指揮に任命され、吉林省東部や遼東半島の數(shù)十県を舞臺に広範(fàn)囲のゲリラ戦を展開し、抗日連合軍最大の主力軍を構(gòu)築した。
1940年1月、抗日連合軍は日本?関東軍の重囲に遭った。楊將軍は部隊を分散させ、突破を図ったが2月23日、吉林省濠江県で戦死を遂げた。
日本軍が長時間の包囲に持ちこたえた楊將軍を不思議に思い、楊將軍の遺體を解剖したところ、胃の中には一粒の穀物もなく、未消化の草の根や樹皮、綿が殘っていただけという。
「人民網(wǎng)日本語版」2005年3月1日