友人が日本訪問から帰って來た。感想を聞くと、日本の農村で小學校を參観したのが感慨深かったという。彼はこう言った。「そこには広々として明るい教室があるだけでなく、花や木が植えられたグラウンド、さらに保健室、視聴覚教室、理科実験室、図畫工作室、標本室、図書室、體育館、屋內プールなどなど、みんなそろっていて、まるで私たちの大學施設と同じだ。世界一流の小學校だよ」。美しい學校施設で楽しく學ぶ子供たちを見て、彼は即座に納得した。この人口1億數千萬人の島國が、なぜ世界経済第2位となり、なぜ近年ノーベル賞受賞者を相次いで輩出しているのかを……?!?
「千里の行(こう)も足下に始まる。百尺の高臺も土を積むことに始まる」と言う。これは普通の人でも分かりやすい道理だ。だが、われわれの現実の暮らしの中では、往々にしてすべてがそうとは限らない。例えば、一方で貧しく粗末な農村の校舎があり、一方で豪華な大學キャンパスがある。一方で重圧に苦しむ貧しい學生がいて、一方で當然のように授業(yè)料は値上げしている。一方で農村の中途退學率は高いまま下がらず、一方で実績がないのに評判だけの「世界的一流大學」があるなど……?!?
科學的かつ合理的な教育システムは、もともと底辺が安定したピラミッド型であるべきだ。それが逆さまの形であってはならない。文化やスポーツなどの分野でも同じことが言える。例えば、中國の卓球は長年、世界のトップ級を占めてきたが、それは広範な大衆(zhòng)的基礎があるからこそ、その後も力が衰えることがないのだ。サッカーは何年かかっても芽の出る見込みがないが、その主な原因はやはり頭でっかちな構造だ。全國の各大都市に目を向けても、子供たちが元気いっぱいに駆け回れるサッカー場をいったいいくつ目にすることができるだろうか。
基礎教育は人生の最も重要なステップだ。志が大きく、學んだ成果のあった人はすべからく、ほぼ青少年期に良い教育と良い影響を受けた。重點大學の學生は一般的に重點高校から進學しており、重點高校の生徒は一般的に重點小中學校から進學している。ここからたやすく想像できることは、もし多くの優(yōu)秀な児童?生徒を育てる堅実な基礎教育がなければ、豪華な「世界一流大學」があっても、恐らく世界的に優(yōu)秀な人材を育てることはできないだろうということだ。だから、お金をかけて見かけは立派だが中身のない「世界一流大學」を造るよりも、たくさんの「一流小學?!埂⑻丐宿r村の一流小學校を建てるのにまさるものはないと思うのだ。
「中國青年報」から
「人民網日本語版」2005年1月28日