パキスタンで中國人技術(shù)者2人が武裝グループに拘束された事件で、パキスタン政府は現(xiàn)地時(shí)間の14日正午、これまでの解放の手立てがすべて実を結(jié)ばなかったことから、突入作戦を決行した。作戦は15分後に完了し、中國人技術(shù)者のうち王恩徳さんは救出されたが、王鵬さんは死亡。拘束されていたパキスタン人の運(yùn)転手と警官も同時(shí)に救出された。武裝グループの5人は現(xiàn)場で射殺された。在パキスタン中國大使館が同日、パキスタン側(cè)から確認(rèn)した。
知らせを受けたパキスタンのカスリ外相は、中國の張春祥大使に作戦結(jié)果への深い遺憾の意を電話で伝えたほか、自ら中國大使館を訪れ、犠牲者への哀悼の意と生存者への見舞いの意を表するとともに、張大使に深く謝罪した。
寫真は、イスラマバードに到著した王恩徳さん(中)。
「人民網(wǎng)日本語版」2004年10月15日